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フクシマと日本の新しい民主主義

19 aprile 2012 - Yukari Saito
Fonte: 資料センター《雪の曽田の種》

原発が生み出す「亡国」


“山をかえせ

川をかえせ

海をかえせ

ふくしまをかえせ

日本をかえせ

子どもたちの未来をかえせ

放射能に汚染されていない世界をかえせ”.

 

1945年の広島の原爆が奪い去った人々の命を返してほしいと訴えた峠三吉の詩にフクシマを重ねたこの7行は、世界的に著名な音楽家、坂本龍一氏が、さる一月に横浜で開かれた脱原発世界会議に寄せた賛同メッセージである。そこに込められた思いは、今日、多くの日本人の心のうちを物語っていると言えよう。 しかし、福島の人々にとって、「元の生活」に戻れる望みは、時の流れとともにますます儚いものになりつつある。4月3日には、平野復興相が、福島第一原発事敀後立ち入りが制限されている警戒区域の中に、将来にわたり住民が帰宅できない区域の設定を検討していることが明らかになった。


とはいえ、野田内閣のスタンスは、もっぱら避難区域の住民の早期帰還を目標に掲げ、すべてが「収束」したかを装うことに徹している。福島原発の未だに高いリスクを孕む状態にもかかわらず、一刻も早い原発の再稼働を狙って、こともあろうに大震災一周年の3月11日には、「必要なら、再稼働の説得のため、自ら地元に赴く」と明言。当然ながら、市民は勿論、周辺地域の自治体からも非難を浴びた。


だが、そもそも「地元」とは、いったいどこを指すのか。
チェルノブイリとフクシマの後では、避けては通れない問いである。放射能相手には、国境も直線距離も意味をなさないことを、私たちは身をもって学んだからだ。


日本政府が最初に再稼働へと踏み切らせたがっている原発は、福井県の大飯原発3号機と4号機。古都京都から北へ60キロほどの位置にある。人口80万人ほどの福井県は、イタリアでいえばサルデーニャ島のヌオロ県に匹敵する地域に、現存の13基に加え2基の建設計画がある日本一の原発密集地だ。


これまでの「地元」の概念なら、再稼働について発言できるのは、さしずめ原発立地自治体であるおおい町(人口は福井県民の1パーセント足らずに相当する約8000人、うち大半が原発に依存する労働者)の14人の町議会議員と市長のみになる。

 

周辺自治体の意見は、国政はおろか、立地自治体の決断においても無視され続けてきた。たとえば、おおい町に隣接する小浜市は、長年、原発誘致への巨大な圧力や電力会社の口説きに屈することもなく、昨年6月には市議会が全会一致で「原子力発電からの脱却を求める意見書」を可決している。にもかかわらず、大飯の4基の原発をはじめ若狭湾に林立する原発にとっては痛くも痒くもない反応と無視されてきた。


けれども、不幸中の幸いというべきか、フクシマ以後、事態はかわりつつある。地方自治体の首長が次々と目覚め、都道府県レベルでは、京都と同様、福井県に隣接する滋賀県が、大飯原発の再稼働をめぐりいち早く反対の意思表示をしたのだ。滋賀県の反応が早かったのは、日本一大きい湖、琵琶湖が原発に近いからである。琵琶湖は、関西に住む1400万人にとっての水源なのだ。文化人類学者、環境社会学者でもある嘉田由紀子滋賀県知事曰く、「私たちの先祖は、災害多発の不安定な国土に住むからこそ、神や仏への信仰により、自然への畏敬の念を深めたのではないか。その精神文化を文字記録として刻みこんできた京都や近江・琵琶湖には、いっときの経済利益を求めるハイリスクな原子力発電所は似つかわしくないと思う」。

声を上げ始めたのは、無論、地方自治体の首長だけではない。

「ここで再稼働を阻止できなければ、なし崩し的に他の原発も再稼働されて、政府も電力会社もなにも起らなかったかのように振舞うにちがいない」。こうした居たたまれぬ思いで、各地で頻繁に行なわれる再稼働反対集会に足を運ぶ人は多い。「もし惨事が繰り返されるようなことにでもなれば、今度は、われわれ自身も共犯になってしまう」

中嶌哲演氏は、長年、福井の原発反対運動の先頭に立ってきたことで知られている小浜市明通寺の住職。3月25日、みぞれ混じりの寒風が吹く福井県庁前で行なわれた再稼働反対集会では、冒頭であいさつ、月末まで断食に入ることを宣言した。

「40年余り原発との共存を余儀なくされてきた間にゆがんだ骨格を正し自分を浄化するとともに、東北の被災したすべての人々、なかでも36万人ものフクシマの子どもたちに詫びを乞い、生きとし生けるものに思いを寄せつつ、若狭やよそに第二のフクシマが起こさないよう祈念するため」と説明、痛切な重い口調でこう問うた。

「かつての軍国帝国主義が、ヒロシマ・ナガサキの惨事の後で敗戦を決断せざるを得なかったのと同じように、巨大な原子力ムラの威嚇を担う現政権も、フクシマだけではまだ懲りないのか。われわれも一億総ざんげまで待つしかないのでしょうか。」

おおい町の14人の町議会議員と町長に限って言えば、どうやら全く懲りていないらしい。そして、停止中の53基の原発に加え、5月5日には定期点検に入る北海道泊の最後の一基を抱えて一刻も早く再稼働に踏み切りたい日本政府にしてみれば、それがまさに頼みの綱なのだ。が、その頼みの綱は、本当に再稼働に踏み切るに用が足るものなのだろうか。

 

4月3日、政府は近隣府県の意向を配慮し、再稼働の決定を延期すると一旦は発表したものの、翌日には官房長官が「地元の同意は必ずしも前提条件にはならない」とくぎを刺した。しかし、その2日前には、枝野経済産業相も「今の時点では、再稼働に反対」と言っており、政府内の再稼働をめぐる判断に関わる4人の閣僚内にすら統一見解がないありさまだ。

つまり、今の時点では、原発依存への逆戻りに反対する市民の声、地方自治体の声がどの程度まで強くなるか次第で、どちらにでも転ぶ可能性があるといえそうだ。

原発と間接民主主義の限界 ― 新しい歴史の1ページとなるか

 

日本はいま、本当に変わりつつあるのかもしれない。尐なくとも、ここ1年足らずの間に日本社会のうちに新たな政治的動きが生まれてきたのは確かだろう。

 

昨年6月末、東京で市民グループ「みんなで決めよう「原発」国民投票」が結成され、昨冬には東京都と大阪市で投票条例の制定を求める署名活動を実施。いずれも直接請求に必要な法定数を大きく突破したが、この二つの都市が電力の大消費地であるのに対し、原発による電力生産地、静岡と新潟でも同じような動きが見られ、今春、署名活動のスタートが見込まれている。

「イタリアの国民投票は、6月というまだ日本は混乱の中にいたときだっただけに、大変衝撃的な出来事で、今回の原発投票に勇気を与えたことは確実だ」。そう語るのは、上原公子元国立市長。東京都の署名活動では連日街頭に立ち尽力した。

「日本政府の対応の遅さにいらだつ多くの国民は、イタリアを心からうらやましく思っただろうし、国策であっても主権者が国民投票で決定するということが、日本では経験ないものの、可能なのだということを教えられた人は多かっただろう」。

 

実は、原発をめぐる住民投票は、日本にも全く経験がないわけではない。1980年代初めから、市民もしくは地方議会議員か首長の提案により、諮問型住民投票を求める運動が30件ほど起こされている。1983年におおい町の住民が求めた住民投票を含め、そのほとんどは議会で否決されたものの、1996年から2001年にかけては、新潟県巻町、新潟県刈羽町、三重県海山町で住民投票が実現。原発の誘致もしくはプルサーマル計画の導入を、いずれも圧倒的多数の反対票が現実に阻止に追い込んだ実績があるのだ。

地域社会からスタートしたこの日本の新しい市民運動も、究極的には日本全国で原子力発電の是非を問う国民投票の実現を目指すものだが、そこで求められる国民投票は、現行の法律廃止を求めるイタリアの国民投票とはいささか性格を異にする。

 

市民グループ、みんなで決めよう「原発」国民投票の事務局長で、ジャーナリストとして世界の国民投票運動をフォローする今井一氏はこう説明する。

「わたしたちのグループは、原発反対グループでも推進グループでもない。会の中には、賛成の人も反対の人もいるし、個人としてはどんな発言をしようが全く自由だが、会の趣旨は、原発は大事なことだから主権者である国民一人一人に判断してもらおうというものだ」。

今井氏はさらに、80パーセントが脱原発を支持する国民世論と、そのようなパーセンテージを全く反映、代弁していない国会議員の立場との間に生じた乖離を指摘。国民投票は、間接民主主義を否定しようとするものではなく、その欠点を補うもので、みんなの将来に関わる死活問題について、政府や国会がより民主的な選択をできるよう、市民の側から実質的な土台を提供することに狙いがあるという。

 

日本の国民投票運動では、まず何よりも市民の民主主義教育としての機能が重視される。市民が、様々な立場の専門家の意見を聞き学ぶことで、より自覚的に自らの判断で政治的選択を行なうようになることが決定内容そのものに劣らず重要となるのだ。そして、課題に関する情報の共有が、政治決定のプロセスの可視化も可能すると考えられている。

「国民投票とは、国民と政治をつなぎ、政治に緊張感を持たせるもの。間接民主主義の限界から生じた政治に対する不信感、国民の政府、国会に対する不信感を払拭していくために、直接民主主義のプロセスがあったほうがいい」というのは、原発に関する国民投票を実現する議員連盟会長を務める桜井充参議院議員だ。

一方、国民投票運動の賛同人の一人、マエキタミヤコ氏は、この原発国民投票を日本の民主主義の成人式だと思って取り組んでいるそうだ。日本の民主主義はもう十分大きくなって、もう成人式やってもいい。世界からも「あ、日本の民主主義、しっかり大人になった」と言われたい、そんな気持ちだという。

 

だが、そんな市民の思いもどこ吹く風、大阪市議会は3月27日、原発稼働の是非を問う住民投票を求めた市民グループの直接請求を否決した。同じことは、知事が「そんなもの、条例つくれるわけないし、つくるつもりもない」と断言した東京都でも起るだろう。石原東京都知事は、原発に反対する市民をサル呼ばわりした人物である。

 

こうした反応をめぐり、署名を集めた請求代表人たちは、「最初から全部勘定に入れてある」と動じない。大阪市の署名活動について、今井一氏は、「否決されたら、個々の議員がこちらとのやり取りの中でどんな態度でどんな嘘を言ったか公開し、必要なら落選運動へと移行する」と今後の作戦を語る。
国民投票の歴史に詳しい今井氏は、実際に国民投票が実現した場合、その結果の実際的な影響力についてもこう太鼓判を押す。

「これまで日本では401件の住民投票が今まで行われているが、その中で結果が反敀にされたのは、沖縄県名護市のヘリ基地の是非を問う市民投票、これ1件だけ。ヘリ基地反対のほうが多かったのに、当時の比嘉鉄也市長が、自分は容認だと言って即刻市長をやめて当時の橋本首相を喜ばせた。ほかは全部諮問型、法的拘束力がないにもかかわらず、住民投票の結果はずっと尊重され続けてきた。日本では、今まで一度も国民投票が行われていないが、そこが初めて国民投票をやる、おまけにテーマが原発だということになれば、世界中が注目し取材に来る。去年のイタリアの比じゃないだろう。それによって生まれた結果を簡単に反敀にできるとは、私は思わない」。

 

 

民主主義、そしていのちの問題   New Clear Plants

 

元国立市長で現在は国内外の連携を図る「脱原発首長会議」の設立に奔走中の上原公子氏は、例年になく寒さの厳しかったこの冬、街頭で署名活動を展開した日々の苦労を、次のようにふりかえる。

「都民投票だけでなく、原発事敀から、若い人たちの動きには目覚ましいものがあった。この街頭活動をやりきれたのは、若者の力が大きかったからだと思う。彼らの頑張る姿が、また若者を呼び込む結果になった。今まで運動なんてしたこともないし、政治的関心も全くなかった若者が、この2ヶ月間の活動を通して、主権者のであることに目覚めていき、世代を超えた共同が大きな力になること、意見表明をすることの大切さ、訴えれば必ず反応があることに気づいたのが、この運動の何よりの成果かもしれない。また、住民投票の話しこみの中では、チェルノブイリ事敀の体験にもかかわらず、かなり意識が高いと思っていた人の中にも、放射能の影響についての知識が不足していることがわかり驚いた」。

上原氏にとってこの活動でもう一つ意外な発見だったのは、最も大きな障害が古くから反原発運動をしてきた政党、組合、はたまた市民運動家たちだったことだという。やれ、法定数をクリアできなかったら、住民投票して推進派が多かったらどうするの、やれ、我々は「脱」原発ではなく「反」原発であるのと、様々な理由で協力を拒否したのだ。

「あいつがリーダーだからとか、あの政党が、あのグループがいるからとか些細な事で、どうしても手を繋げない。そんなセクト主義に、若者やグループに所属しない人が参加するわけがないではないか。脱でも反でも言葉はどうでもいい。同じく原発に依存しない社会を目指し、今手を繋がなくていつ一緒になるのだ。いつもいつも日本における市民の活動が負け続ける正体が見えたような気がする」。

 

今年1月の脱原発世界会議で実行委員長をつとめたピースボート共同代表の吉岡達也氏は 「原発は、エネルギー選択の問題以前に、民主主義の問題」と主張し、再稼働への動きを前に危機感を露わにする。「フクシマ事敀は、日本という国がどれだけ、民主主義とか情報開示といった当たり前のシステムをもっていないかを世界に暴露したが、再稼働はその象徴。日本政府はだれも再稼働の合理性を説明できないのに、このまま強行すれば、世界における日本の存在の危うさを決定的なものにし、国際的な信頼は失墜するだろう」。

 

一方、原発問題を民主主義の問題である以上に「人類の生存の問題」だと考えるのは、弁護士の近藤忠孝氏だ。

近藤氏は、明治維新以来100年間、敗北を重ねてきた公害被害者が全国で初めて勝訴を勝ち取った1971年のイタイイタイ病訴訟で弁護団長をつとめた弁護士で、今年80歳。余生を原発訴訟に捧げる決意をし、福島で結成された弁護団に加わっている。と同時に、「世界で最も原発の密集する若狭湾」から80km圏内にある京都でも、原告1万人規模の訴訟提起を準備中。京都ではそれが住民投票運動に相当する動きになるだろうと予想している。近代化の大儀の陰で犠牲を強いられてきた人々の人権回復に尽力してきた近藤弁護士らの長年の公害裁判の経験は、「巨大公害」である原発災害の訴訟に貴重な武器を提供するにちがいない。

 

日本の政治は、こうした市民の動きを一向に感知せず、2011年3月11日以前と同じ世界に留まっているかに見える。はたして日本の市民は、住民投票運動や集団訴訟を通じて、政治家たちを深い眠りから揺さぶり起こすことができるだろうか。

「私は、日本がこれを機に変わるという感触を得ている」と近藤弁護士は言う。日本社会の地中では、根本的な変化の種が萌芽、根を伸ばしつつあるのかもしれない。

 

© 齋藤ゆかり   (2012年4月8日イタリア全国版日刉紙「イル・マニフェスト」掲載記事の日本語版)